最近、ゼミの課題が忙しくなっていろんなことが目まぐるしくかけめぐっています。
それと同時に感じることもたくさんあって。
そのひとつが、
「知れば知るほど知らないことが出てくるということ」です。
そんなこと当たり前だーとか、んなことくらい知ってるわって思うと思うけど。思ってはいたけど、ことばにしたのは初めてかなと思います。
結構、実感する時がありました。
これこれとしていたら、「あれ?」また疑問が出てくる。えっ、実はそうなってたの?そことそこがつながってんの?
…終わりがないなーって。
知ることによって、知らないことがでてくるなーって。
相反してるようだけど、真理な気がしました。
あるひとつのテーマに沿ってやっていくと、当然いろんな部分に絡みながら深く掘り下げていく。その過程で今までは知りえなかったことが出てきて、自分の今まで知り得ていた知識がこんなもんだったのかと愕然とする。知らなかった自分に嫌気が差す。「何も知らなかったんだなおれ。」自分の知ってたことなんてほんとにちっぽけだったんだなって。
でも、知らなかったということを知ることってある意味チャンスじゃないかなって思います。前は、なんでそんなことも知らなかったのかと自己嫌悪に陥ってました。
そこで気づけたこと、知り得たことってそのとき知る機会がなかったら、この先死ぬまで知る機会はないかもしれない。
そう思ったら、今気づけたこと、知らない自分がとてもラッキーなような気がします。
「それを知らなかった自分」に区切りをつけて、新たな「それを知った自分」に生まれ変われるから。
(それを知ってからどうするかとかは今回は関係なしで)
知ってることなんてほんとに少ない。正直知らないことのほうが何百倍も多いってことを身をもって感じました。
知らないのがアタリマエ。だってそこまで長く生きてないし。っていうのが正直なところかなと。
「知ること」って、ほんとにハードルが低くてとても簡単なこと。そして、自分の限界を簡単に取っ払ってくれる。例えば、本(ノンフィクションとか)がいい例。書いた本人がどう思ったかとかがわざわざその人にアポとって会いに行かなくても1000円くらいで知ることができるから。それってスゴイこと。さらに今はSNSが浸透して、ツイッターやUSTとかでその人が思ってることを可視化することもできる。
たまたまっていう偶然性や、当たり前に通り過ぎてたことを改めて知るという回顧性の「知ること」も最近よくします。
これは何かlook atとseeの「見る」の違いに似ているような気がします。look atって、見ようとする意志を持って静止しているものを”見る”、そして、seeは意図しないで目に入ったものを”見る”。前者が本の例で、後者がSNSの例に当てはまるとも思います。
最近、自分の知らない世界がだんだんうっすら見えてきて、その反面自分が今までなあなあで過ごしてた現実ではどうしようも判断できないというか、理解できなかった事に多く直面しています。でも、そういう自分の知らなかった現実はほんの一部。たくさんの人と会っていろんな感性の人と会って、いろんな文献や本を読んでいろんな「知ること」を経験していきたいです。
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