最終判断を結局決めるのは「自分」だということ。
わかりやすい例でいうと、自分は可愛くないと思ってる。
「あーわたし可愛くないわ。」
「いやいや、全然可愛いでしょ。」
みたいなやりとりで誰かがフォローしてくれたとする。
でも、それで自分は満たされる?
もちろんそれで大丈夫なら、何ら問題はないし、満足だと思う。
どんなに優しい言葉やフォローをしてくれても自分が結局納得していないんだったら意味がない。表面上はうれしいという気持ちで取り繕ったところで変わりはない。
慰めをしてそれに誰かが応えてくれる。
そのアドバイスは結局はアドバイスであって自分のものにするかは自分次第。
相手に最終判断を委ねてはいけないと思う。
今日、元バイトが同じだった子と遊びに行った。
3つか4つくらい年上だから、今どんな事やってるかとかいろいろ聞いた。本当にストイックな人で、毎日英語の単語の勉強をして、年間100冊以上の本を読んで、家庭教師のアルバイトをしたりしている。もうすごいとしか言いようがなくて。
自分の何もやってなさというか自分の生活のだらしなさに呆れながら、遊んでる時間を考えながら過ごしてた。
そして、帰ってきて自分のだらしのない生活のことを誰かに聞いてほしくて、どこかそんなことはないよって言ってくれるのを期待して、そのことをTwitterにつぶやこうとしたけどやめた。
結局聞いたところで納得できるかどうかの最終判断をを決めるのは自分だから。
「そんなことないで。」って言ってくれて「わあ、ありがとう。」といったところで自分の生活には何ら変化はない。前と同じ生活がこれからも待っている。自分がダメだということは自分が一番わかってる。多分、フォローしてくれたとしても自分は納得しない。
こんな事書いてるけど、別に誰かに助けを求めるのは悪いことだとは思ってない。どうしようもなくなったとき、自分じゃどうしようも前に進めなくなったとき、「今、こんな感じで悩んでるんだけど、どうしたら良いと思う?」みたいなことを聞いたらいいと思う。
忘れちゃいけないのは、あくまでそれは客観的意見というかその人の個人的な見解だということ。ひとりひとり価値観は違うわけだし、それを完全に鵜呑みにしてはいけないと思う。(完全に合ってると思うなら話は別)けど、だからといって撥ね付けるようなこともしなくていいと思うし素直に聞けばいいと思う。
けど、最終判断を相手が言ったことで決めてしまうのは何だか寂しい。それを決めたのはその人だよ?自分の人生なのに、って。
自分の人生は結局は自分の判断で決まると思う。誰かがこうしてたから、あれしてたからの他力本願でいられるのは中学高校まで。他力本願人生では本当につまらない人生を送ることになってしまう。
今日その人からためになってる自分が続けていることとかを聞いてきた。その話を聞いて、少しずつ自分の中に落とし込めるようにちょっとずつよりよくなれるように実践していきたいと思う。
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