そういえば。
自分が中心で生きてこれた小学校の頃。
周りが知り合いだらけだった中高時代。
一人暮らしを始めて、まわりに知り合いが誰もいない状態で生活している今。
それでもまだ知っている世界っていうのは狭かったなと今もなお、そしてこれからも実感する。いろんな情報が入ってきて、まだまだ何にも知らなかったんだなっていうことを知る。まさに無知の知。


今、すごいもどかしい時を過ごしてる。自分の至らなさを痛感する。会社に電話するときに正しい敬語の使い方だって知らない。言われたことを一回で理解できない。自分の考えてることすら満足に人に伝えられない。自分の言葉に直すのに時間がかかってしまう。そういうもどかしさすら抱えて生きてる自分にとってこの先何ができんの?何をしようとおもってるの?っていつも思う。他の人がわかることも何で自分はわからないんだろうてすごい悩む。おいおい、こんなんでこの先大丈夫か?って。やりたいことも漠然でふわふわしてるし、こんなんじゃ追いてかれんぞってふと思う。


今は幾分ましになってわからないことをわからないって言えるようになった。その先ずっとわからないよりかは今恥かいたほうがいいなーて思うようになったから。「なんもわからん!」なんて全てを放り投げてた自分も変えた。どこまでわかっててここからがわからないって言うようにした。もう一度って言われた方の目線にたったら、放り出された人にもう一回いうよりどこまでわかっててどっからわかってないって言ってくれる人のほうが教えたくなると思うから。



そして、一番つらいのが、ボキャブラリーの圧倒的少なさ。これにはひいた。うまく言葉に出来ないことがおおすぎる。感覚的な凄さを「ことばに出来ない。」なんてよく聞くけど、そんなことじゃない。言い換え能力、その他もろもろなんだこれっていうぐらい自分には語彙が不足しているのを実感している。読んで終わりっていうのが多かったのが原因かもしれない。


わかった”ふり”をしていただけなんだと思う。無意識の自分を偽って。



身の回りの出来事に自分基準の判断を下さずにのらりくらりと生きてきたツケがまわってきたんじゃないかってすごい思う。

これじゃ本当にこれからいろいろダメになる気がする。ダメ人間になる気がするんだよね。

自分ならこう思うっていうのを思って、そこで止まってしまう。これでいいのかな?なんてフィルターをかけてる。口にだすのをためらってしまう。


逃げてた自分からこれからも逃げるのは簡単だ。でも、21になって”ハタチ”ブランドを捨てた自分にはもうそれではダメじゃないかなって思う。いろんなことになあなあになってた生活に歯止めを。

2012/06/19 



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