*これは去年のWorldShift KOBEのときに書いてたやつを今こうやってあげています。去年はこんな感じのことを自分は感じていたんだなーと。少し恥ずかしい笑 それにしてもすごい量を書いていたんだなーと思う。文体が今と少し違う。ちょっと固かったように思います。いろんなところで小さく変わってきてるんだなーと思いました。
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[インプット]→[アウトプット]
[3人称]→[2.5人称]

12/3。新長田の二葉小学校跡地で行われたWorldShift KOBEに行ってきました。
そもそもの理由として、木の屋さんの副社長がプレゼンにくるっていうことを聞いたからです。
10月の初旬、関東関西合同JCCで初めての東北派遣に行ったときに、2日目に木の屋さんの泥やヘドロがついてしまった缶詰めを洗う作業をさせてもらっていました。それからどうなっただとか、一度関わった身としては関西でそういうのを聞けると言われたら行くしかないだろうと。単純な理由です。

事前にプレゼンを聞くために(ちなみにプレゼンをするのは木の屋の副社長のひとだけではないです。)チケット(オレンジのブレスレット)を買いました。
1日¥2000です。
決して安くはないお値段。
だから、何かしら得て帰ろうと決めてました。
現地に11時ごろついたので水谷さんと大西さんの講演は聞けませんでした。残念です。
一人一人自分なりに解釈してかいつまんで紹介したいと思います。

①依田文人さん
②樫野孝人さん
③林賢司さん
④羽生善治さん
⑤マエキタミヤコさん
⑥佐藤正弘さん
⑦木村隆之さんです。

まずは①依田文人さんから。
彼は実はまだ学生です。
平成元年生まれのプロの予備校講師で、最年少で生徒満足度がアンケートで1位をとったそうです。どうして取れたのか自分なりの考察や、これからどうしていったらいいだろうかといった展望を話してくれました。

「夢はでっかく、根は深く」
依田さんの好きな言葉。
どんないい夢(木)でも土台(根)がしっかりしてなければおっきな夢(木)が育たない。だから、そのためには強固な土台づくりと確かな計画性が大事だと。

土台作りとしていろんなこと経験して夢を探すこと。
それを形にしていったり追求していくこと。得たことなどを飛躍させていくこと。
そして、それらが重なることで夢を実現可能にすることができるようになるのだと。

19歳でプロの世界に入って学んだことは
①インプットの量が必要(中身のある豊かな人間になれているかどうかを意識するようになった)
②大人に認められて初めて本物の実力になる(学生基準で考えてるとどうしても甘くなってしまうから)
の2つだそうです。
また、自分よりもすごい人と働けていることの喜びを感じつつも、負けないように若い自分だからこそできることを日々模索中だそうです。

今回何人かのプレゼンで、若者が夢ややりたいことを持っていないことについての危機意識の意見が論じられていたのが印象的でした(昔の人が持っていたかどうかはわからないけど)。
個人的な意見としては、現代はやりたいことの選択肢が増えて自由に選べる時代になったからこそどれを選んでいいかわからない、どれがいいのかわからない、そんな悪循環に陥ってるのではないかと思います。

人はあまりに自由になると逆に何をしていいのか、したらいいのかわからなくなるものです。例えば図画工作で。「さあ、今日は丸々1時間使って自由に描きたい絵を描いてみましょー。」ってなったときにどれだけのひとがさっと描けるでしょう。
「えー、何描いたらいいん?」「何も描くことないし。」
こんな声が大多数じゃないでしょうか。
あまりに自由だと逆に不自由になるんです。そんな今、どうすれば自分のしたいことや夢を持たせられるか。

あまりに自由な現在だから少しくらい制限をかけてあげればいいと思います。例えば、就職とかだったら包括範囲がアバウトな職業にもっと仕事の詳細を教えてあげて具体性を持たせるとか。
範囲が広くていろんなものを含んでるものを明示化して狭めてあげる、そうしたらそこを求めてるひとが行きやすくなるインセンティブを与える。
そんなことから始めけばいいんじゃないかなと思います。
まあ、それが自分からそういうのを調べてできるようになれたらとってもいいんですけどね。

そういうのをキャッチするためにアンテナを張っておいて、広い視野を得ることも大事だと思います。こういうのを考え始めたのも大学に入ってからです。
依田さんも言っていたんですが、18歳で進路選択を迫られる教育では見られる視野が狭すぎる。だから夢をまだ見つけられてないのにどこに行くのか選択を迫られよくわからないまま過ごして夢を持たない子どもたちが増えるのではないかなと思いました。
これは一種の制限だけど、プレッシャーとしてつきまとうから早く決めなきゃってなってしまって見つからないからドロップアウトや、もーいいやってなってしまうのではないかなと。

これからの時代をつくっていく僕らが意識を変えていかないとこの先お先真っ暗です。そういう僕もいまいち未来が見えてませんが今は探すときだという位置づけをしています。やりたいことが少しずつ見えてきたところです。もう少しがんばろうと思います。


次に②樫野孝人さん。
映画NANAなどの映画製作などの多方面にわたる活躍で注目されています。
樫野さんのWorldShiftは[一人勝ちの世界]→[複数主人公の世界]。

これは、誰でも一人一人が分野の違う主人公になれる可能性があるということ。
樫野さんは小学校のときの例で、むっちゃ頭のいい子はその場面においてヒーロー、つまり主人公になることができる、スポーツの出来る子は運動会やスポーツ大会で主人公になることができる、スポーツとか頭はあんまよくないけど、むっちゃみんなを笑わせてくれる子はみんなを惹きつけるという場面において主人公だと。
一人一人価値観が違うんだから多くの価値観を尊重しあえる社会になるといいなとおっしゃっていました。
会社だったら、社員からどんどんヒーローが出てくるような。

 逆に今は価値観が傾いていると。確かに、あれしなさい、これしなさい、これもできないの?みたいに○○ができるからえらい、○○できないからダメだとか一つの方面からしか価値判断ができてないんではないかと思い共感しました。
そして、それを達成させるには、それが成功している「ロールモデル」をつくってこれは素晴らしいと、これは推進していくべきなんだぞと世に広めるということが重要であると。
特に政治家。政治家は汚職がよくメディアに取り沙汰されます。それゆえ、子どものなりたい職業ランキングのいつも最下位に近いところにランクインされています。
《憧れない職種に優秀な人材は増えない》勿論そう思います。

成功事例はすぐに広まる。だからこそ先陣を切るロールモデルをつくる必要性があると。キラーなアイデアとそれを実現させるための繋がり力(巻き込み力)。とてもためになりました。


ちきりんさんの「ゆるく考えよう」っていう本でちらっと読んだのですが、年中ダイエットしようと言う人や、貯金しようと言っている人がなぜ達成出来ないのか。
日本人には危機意識がないと本格的にやろうとしないのだと書かれていました。
まだなんとかなっているから重い腰がなかなか上がらないのだと。続かないのだと。女子は特に「やばいって!太ったから私ダイエットするわ!」と言っても、結局は何か食べちゃったりだとかで達成出来てる人はほとんどいないと思います。理由としては上記にあてはまると思います。

まだ日本人には危機意識があまりないため、何とかなるやろとか楽観視してるのではないでしょうか。
世代間のバトンリレー。次の世代のために汗をかける人にならないといけない。樫野さんは神戸に着目していています。近畿には地域主権のモデルになる街がないから、住んでる街の魅力を引き出せるように頑張っているそうです。


次に③林賢司さん。
白馬村での民宿再生プロジェクトの運営をしている26歳の人です。
この人はいろんなプロジェクトに関わっていてとても力量のすごさが伺えました。
パワポもシンプルで伝えたいことがわかりやすくて見習いたいなと思いました。

この人は、いろんなプロジェクトに関わっているからこそ見つけられたものがたくさんあると言っていました。
一人では何にもできない、いろんな人たち(その分野専門の人たちなど)の助けによって成り立っているんだと。それが社会のつながりにも生きてくるんではないかと。
一人一人が助け合い、関わっていくことで新しいものがつくっていく。
一人一人が参加すればするほど新しいものが生まれていくと。
新しく生まれていったものにも取り組みを進めていくと問題が出てきてそれを解決しようとする。それのサイクルであると。

「何も知らないからこそやってみたい。」僕にとって印象的な言葉です。
白馬村での民宿再生プロジェクトにおいて、何年も村長をやっていた方から、おれの方が何年もやっているのにお前みたいな若造に何がわかるんや、など結構言われたそうです。

でもそのとき、林さんは上のように言ったんだそうです。 何年もやってきた村長に比べ、知識もやり方も何も知らないからやらないのではなく、知らないんだからやってみなきゃわからないし、もしかしたら長い間やってきた村長でさえ見つけられなかった改善点を若い僕らなら見つけられるんではないか、そんな風におっしゃってました。

また、今やっているプロジェクトで待ちの活性化に本気で取り組む、期間限定町長就任プログラムの紹介をしてくれました。これは面白い取り組みだと思いました。
さっきの話のようにやってみなきゃわからないと思っていて、でもやる気はあるといった学生のためにインセンティブを与えると思います。クリエイティブなアイデアにとてもわくわくしました。もうちょっと詳しく調べてみたいなと思いました。

学生とのセッションで、質問者がどうしていくつものプロジェクトを同時にこなすことが出来るんですか?っていう質問をしたときに、
彼は「自分は全然奇特じゃないし、普通の平凡な人です。だから自分の出来るところを一生懸命にやる。自分では出来ないところは助けてもらう。そういうことが、繋がりだったり関わり合いをつくっていくことでなんとかこなしていけてるんだと思います。」と言っていました。

またそこでただやるのではなくて、志の共有、ビジョンを明確にすること。取り組むことを目的にするのではなくて、取り組んだその先を見据えることが必要だと。
土地ごとに習慣、風土など違いがあるわけで、コンセプトが変わってくるためその土地に合わせて共感を得られるように、どうあるべきなのか、現地の人たちにどう思ってもらいたいのかを考えていると。

どうしても大人数のプロジェクトだと情報を集めて分析する作業に熱中して、あれやこれや本当に必要なんかわからん資料まで集めてしまいがちです。どうやって結論を出すか、意志決定のためのプロセスを具体的に考えていくことが大事なんだと思いました。


次に④羽生善治さん。言わずとしれた将棋棋士です。
WorldShift来たときにパンフレットもらって羽生さんが!と思って、これは聞いてみたいな、生で見てみたいなと思ってました。

《何で勉強するのだと思う?》

羽生さんが最初に質問しました。
誰しも一度は悩む問題だと思います。
僕もよく考えます。
でもいつもいまいちしっくりきません。
まだ勉強している途中の段階だからなのか。考えれば考えれるほど問題から外れていきます。
生きていくための基礎として、人との円滑な関係を保つため、やりたいことを見つけるため。色々出ます。でもそれは薄っぺらいんです。自分の考えではないです。誰かが前に言ってた言葉を自分が使ったところでただの引用です。元から結果の出ている言葉を使ったところで何も考えてることにならないんです。いつもとてももどかしいです。みんな通る道。何で答えが自分の中で見つけられないんだろう。何のために生まれてきたのか。 考えることすらできない自分にとても悔しくなります。

羽生さんもとてもこれに答えるのは難しいと言っていました。でも彼はこう答えました。
いろんな種類の”ものさし“をつくるため」だと。

これをするためにはこのくらいの時間がかかる。これをすればこれくらいのことができるようになる。
勉強で自分の多くの種類のものさしを作ることで選択肢が増えて、様々な基準、価値判断を選別できるようになると。
それゆえに時間を有効に使えたり、自分基準を知っているから発想やアイデアなど自分に出来る範囲で柔軟に対応できるのだと。
そういうのを考えるには、機会を自らつくったり、いつもとは違いサイクルを意図的にやったり、多くの人と交流するのがよいとおっしゃってました。
交流のなかで自分自身を見つけていく。そんな過程を楽しんでいくことが勉強なんではないかなとこの話を聞いて思いました。


15:30からは⑤マエキタミヤコさんの講演でした。
環境NGOのための広告メディアクリエイティブのサステナの代表です。みんなが知っているものと言えば、「100万人のキャンドルナイト」あたりが有名じゃないでしょうか。
この人の講演はとても率直でした。言いたいことがとても伝わってきました。
最初は原発の話で最後は日本人の話です。

日本には多くのプレートが入り組んでおり大きな地震がいつ起こってもおかしくない地震大国。でも原発をつくっている。地震大国なのに、もし大地震が起きたらのシビアアクシデントを想定していない。原発が爆発したら?どこまで被害が広がるのか?原発ででるゴミの処理は?どこまで想定したんでしょう。想定していなかったから、この事態が起きてしまったんです。自分たちにも責任はあります。
そういうリスクがあることをわからず作ることを間接的でも許可してしまったんだから。次に書くつもりの佐藤さんの話の中でも書くつもりですが、印象的だったのが、ある少女が大舞台の前で言った言葉です。

「死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。今や砂漠となってしまった場所に、どうやって森を蘇らせるのか、あなたは知らないでしょう。」

どうやって直すかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。

この言葉にはずしんときました。これをやったらどうなるのかとか、シビアアクシデントの可能性を全然考えていないなと。リスク意識が欠けてしまっているなと。

以前、リスク意識の話で柳田邦男さんが講演会で震災時の田老町での出来事を話してくれました。
前にも田老町には震災で津波の被害に遭った経験から11mもの防波堤を建てたそうでそれが仇となったのか、震災時も防波堤があるから大丈夫だろうとたかをくくってしまいほとんどの人が非難しませんでした。しかし、津波のパワーがかなり強くてあの防波堤が壊れ、田老町の人々はほとんどの人が亡くなってしまったそうです。

「なんとかなるだろう。」
日本人がよく使う言葉です。しかし、この言葉を使うときは本当にすべてのリスクの危険を考慮して初めて使うべき言葉だと思うのです。僕ら日本人のなんとかなるだろう。はどうしてもそうとは思えないのです。あんまりやってないけど、自分を納得させるための一種の思い込みのように感じます。どこか投げやりな感じがします。

この根本的問題には、未だ日本人の「神風意識」が残っているのではないかとマエキタさんは言っています。気合いで大丈夫、神様がしてくれるだろう。いつまで幻想にとらわれているのか。変わるべき時に立っています。

マエキタミヤコさんは日本人は脱コンフォーミストになるべきだと。文句言わず、綴り計算などを間違えない衆愚なコンフォーミストから脱却して、綴り計算は多少不得意だとしても批判的精神旺盛な脱コンフォーミスト精神を育てることが必要だなと。
好奇心を開放しろと。今の時代、精神論は通用しないのです。そのことに気づくべきときなんです。でも自分も含め、やっぱり難しい問題ではあるけど、変わっていこうとすることが大事なんだと思います。

現実を美化せず客観的に未来を生きる。現実を直視しなければならない時期に差し掛かってるのだと思います。


⑥佐藤正弘さんです。
この人の話は新しく知った事実が多くてとてもためになったし、衝撃も受けました。
パワポでは、伝えたいことをシンプルに大きく取り上げることで、僕たちに何がここで伝えたいのかわかりやすかったです。

1992年リオデジャネイロで行われた国際開発会議で、「持続可能な発展」が取り上げられました。
2012年、夏にも20年の時を経てもう一度開催されます。
現在人口は70億人を越えました。
しかし、1950年にはまだ25億人しかいなかったんです。
よく考えると、たった50年で45億人もの数の人が誕生していってるということです。
1年で1億人くらいだから大丈夫じゃないかと言われますが、普通高齢者の方たちや病気、事故などで亡くなってる人よりもかなりの数の人が生まれているということです。
前年よりも1億もの人の数が増えるということはつまり日本が毎年増えていくとおんなじ状況なのです。びっくりするほどの数です。
そして、現在世界人口の約1割の人が飢餓で苦しんでいるそうです。つまり10億人。
また、地球の上昇上限温度が2℃と決められているんですけど、各国の目標とする水準がすべてクリアできたとしても3.5℃、そのまま何もしない現状では6℃。このままでは世界は自滅してしまいます。

どうすればいいのか。見えない未来への不安感が募るばかりです。
どうすればいいか。
まずは、半径50mを大切にすることだそうです。些細なことに関心をもって問題意識を持つことが第一歩だと。そうすることで、自分の出来ることの一歩先を見据えることが出来るようになると。当たり前は当たり前じゃないんだと、日々思っておくことが大事なんだと思いました。

地球サミット2012では、皆参加できるそうです。意見も求めているそうです。なぜならこの環境問題は政府や国連だけでは達成できないことだからです。これからの動向に注目していきたいと思います。

最後に⑦木の屋の副社長の木村隆之さんです。
実際に震災に遭われてから変わったこと、感じたこと、これからの缶詰め工場の構想についてお話ししてくれました。
3/11、津波から命からがら生き残った木村さん家族は、電気もつかない、雪も降る、もちろん暖房もない場所での生活を強いられます。そこで感じたのは「命があれば何とかなる」ということ。
少ない食料をみんなで分け合って寒い部屋で生き延びる。助け合って譲り合うことの大切さを身を持って実感したそうです。

分け与えれば物は余る。取り合えば、物はなくなる。

みんなで分け合って共有していた東北の人たちは、ボランティアたちの人たちの援助や全国の人の寄付によって逆に余ってしまう状態にもなったそうです。しかし、その逆に東京では物を買いあさり深刻な物不足になってしまいました。

この話を聞いていて、自分の生活が当たり前でなくなってしまったことを考えてみました。
家族の誰かが死ぬ。
まず、そう考えただけで泣き崩れそうなのに、家もない、友達も死んでしまった、周りの人もいない、学校もない、避難所ではプライバシーもなんもない、頭が洗えない、ひとりひとり少なくなっていくのを見てくしかない…。

日常が非日常に変わるとき、人はどれだけ耐えられるのだろうか。とても耐えなれないです。親が自分の目の前で一生目をつぶったまま。ピクリとも動かない。親が亡くなる悲しみと同時にこの先どうすればいいのか、生活費はどこから稼げばいいのかの選択を迫られます。人は弱い動物だということを思い知らされると思います。自分自身まだ身内の死を体験してないので実感とか全然わかないです。
とりあえず、働いていない今としては「絶望」という言葉が一番しっくりくるとかなと思いました。

木村さんは、震災後缶詰め工場に赴いて被害の状況を見ました。海から近いところに工場があったので工場は津波に押し壊され、缶詰めが泥やヘドロで汚れてしまっていました。でも、泥とかがついていても中身は大丈夫なものがほとんどだったので、泥を落としてもう一度商品としてキレイにしようということで、僕自身が行った東北派遣で作業したときもその作業に参加させてもらいました。そのときもまだまだ缶詰めの泥がついている状況でしたが、先日ようやくすべての缶詰めを洗い終わったそうで、その作業に関われたことがとても嬉しかったです。

震災を通して、木村さんは視点を切り替えられたいいチャンスだと言っていました。大切な物は残して、要らないものは見極めをつけていく。
前まで一次産業が衰退していくのを見ていて、これたではだめだとは薄々感じてはいたものの変えることができなかったんですが、震災という否応にでも変えなければない大きな出来事があったことで、このチャンスをどう生かすかどのようにして復興できるようになるのか少しずつですが復興の兆しが見えてきているそうです。



今回、たくさんのいろんな場面で活躍している人たちの講演を聞けて本当に良かったです。自分では気づけなかったこと、自分にしか気づけないこと。それを気づけるようにまずは近くから探していこうと思います。
他人事を自分事に。
とりあえず動くこと。
頑張っていこうと思います。
ありがとうございました。



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