今日、サークルで出た議題。

「もし、あなたの子どもが生まれてくる前に(胎児の状態?)重度の障がいをもっていたとしたら、あなたはその自分のこどもを産みますか?」

なかなかこういうのを考えるのって機会がないし、今回いろいろ考えてみてためになったというか、こういうのを考えるのって必要だなって思った。


現時点での個人的意見としては、「産まない」を選ぶと思う。
(これから意見が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない)

なんでか。
弟が軽い知的障害を持っているってことが大きい。
毎日接してきてそれが当たり前だと思ってるし、そういう子たちと接してきたからどういう気持なんだとか、嫌なこと言われて実はどう思ってるのかとか察することもできる。てか、察してきた。そういう子は言葉には出さないけど。ああ、やっぱり悲しいんだろうなあっていうのを肌で感じる。

親が、実は大変な思いをしているのも知ってる。おれにはしっかりとは見せなかったけど。頑張ってる姿を後ろから見てたから。

その辛さ(だけじゃないと思うけど)を乗り越える力が自分にはまだないし、おんなじ状況をもう一回経験するのが辛い。経験したくないと思ってしまうから。

個人的には、こどもが欲しいと思わないっていうのが前提にあるからかもしれない。奥さんと二人で自由に過ごしたいっていう理想もあるから。

浅はかだけど、これが本音。わざわざ書いてどうって話だけど。


ディスカッションの時間のとき、ふむふむとみんなの話を聞いていた。
聞きながら、意外と周りに障がいを持った人がいるんだなっていうのを感じた。

だけど、それを聞きながら感じた正直な感想は、どこか第三者目線というか、そういう事実と現実を線引きしているなと思った。括弧付きで(私はちがうけど)みたいなのがはいってるように感じた。

女の子たちが思う、子ども像ってそういえば
「健常者」ありきだなって感じた。

あれ着せよう、これで遊ばせよう…。
これができるのは健常者のこどもだからこそ。

でも、最近障がいを持った子どもをよく見かけるし、そういうのを見逃し過ぎじゃないかって思う。
そういう現実があるのに、なぜか生まれてくる子どもが「健常者」だと思い込んで想像してわくわくしている。どこかそういう期待があって目を逸らしてはいないか。わかってはいるんだけど、自分はそうじゃないと思ってる。

そういう子どもを授かるということには、どこかに障がいを持った子どもが生まれる可能性だったり、生まれてきた子がすくすく育てられるよう配慮された環境に住むことだったり、多くの労力がかかるということを踏まえた上で考えなくてはならないと思う。こどもを大人になるまで育て上げるという覚悟も必要。


そう考えてみると、いろんなことが起きる可能性もあるという出産に対する当事者意識がまだまだ足りてないなって感じた。
どこか一息おいてる。線を引いてる。自分には関係ないやって思ってる。
いろんな状況を想定して、それでもなお、産みたいと思えるならそれはそのひと次第だと思う。でも、どこか見ないようにしている部分があるのに、産もうとするのは早いんじゃないかって思う。

こんな事考えてたら、もっと少子化が進みそうだけどね。

考えてみるけど、都合のいいように逃げてるようにも感じて、何かそんなもやもやが正直気持ち悪い。



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