去年の6月12日。
ついに生まれてから20歳になりました。あっという間に3月です。
3回生です。9ヶ月経ったなんて嘘のようです。
なんとなく今までやり過ごせてきたような感じがする人生ですが、まだまだこれからです。でも、一回節目ということで自分を振り返りたいと思います。

①自分は「ちっぽけ」。
②矛盾を恐れない。考えって変わるもの。
③自分の価値観を他人に押しつけない。
④出会いに感謝すること。最高よりも最善。
⑤対話の重要さ

①自分は「ちっぽけ」。

これは本当に思うこと。無力だなって。特に大学に入ってから思うようになりました。大学に入って一人暮らしを始め、えっ、これら全部自分でやらないといけないの?って驚いたのを覚えています。今までやってきてくれたことのありがたみが分かるようになったかなと思います。一人ではいきていけないと感じたし、だから親やおじいちゃんおばあちゃんに感謝するようになりました。

改めて言うと、人って一人で生きていけるようにはつくられてないってことを実感したように思います。社会はいろんな人と人が絡みあって繋がって交わって構成されていく。社会は人だけじゃなくて人が産み出したもの=機械、加工品もあります。網の目状に入り組んだ繋がりの中で生活していると考えるとなんだかワクワクします。そして、今はインターネットが普及しメールでやりとりができたり、外国にいる人ともすぐに連絡できる。グローバル化って世界を狭くできるとてもいいものだと個人的には感じます。だからこの時代に生まれることができたことにとても感謝しています。

自分のちっぽけさを感じた出来事で、去年の夏、8月にカンボジアのプノンペンというところに家建設のボランティアに2週間行って来ました。今回3軒のおうちを建てるお手伝いをさせてもらったんですけど、8日のワーク作業の結果、残りのあとひとつのおうちの屋根を取り付ける以外ほぼ完成させることが出来ました。(屋根は現地の大工さんがやるので実質的には自分たちにできることは全てやり終えた)充実した2週間を過ごしたものの、何か心の奥でもやもやするものがあって、何でか考えたら「その他の周りのカンボジアの貧しい人たちは助けられない。自分たちにできたことは、その中のたった3軒のうちを建てることとその家族が生活できる環境を作れたことだけじゃないのか。」ということでした。自分にできることの少なさを実感しました。日本に住んでたら一生実感できなかったと思います。自分のしたいことして、それができるような環境で過ごしてきて、情報で貧困などの実情を見たことはあったけど、世界はそんな容易いものではないとわかってなかったと思います。過ごす場所によってこんなに違うのかと思いました。自分てちっぽけだなと思いました。まだまだ何十億人のひとりに過ぎなくて特に突出してるところもないし、普通の人生を普通に過ごしてる。そんな風に考えてたら、自分て生きてる意味があるんかなとか自分の存在意義がわからなくなりました。ちっぽけな自分には何にもできないんじゃないかって。

でも、「一人の人間ではできることにも限りがある」っていうことを最近言われて。できないことに目を向けるよりできること、できたことに目を向けたほうが世の中生きやすくなるんじゃないかなーって思いました。今回で言ったら、周りの人は助けられないけど、その代わりに3家族は助けることができた、という感じで。正直もどかしいしなんかしっくりこないけど、できなかった部分より出来た部分を褒めてあげたいと思いました。


世の中にはほんとにすごい人が多いです。でも、その自分が思うすごい人にもこの人はすごいって思う人がいる。じゃあ、その人は本当にすごいから雲の上の存在なのかって繰り返すとキリがないです。区切りをつけないとダメだなって思います。すごい人すごい人ってうえばっかり見て、地に足つけてないと、足元すくわれしまう。上を見るのもいいけど、今自分にできることをこなしていったほうがいいんじゃないかって思うんです。そろそろ自分でできることできないことがわかるようになってきたから、できるところは自分でやるし、出来なかったり苦手なところは他にあたってみたり助けてもらったりすればいい。自分のできることの限界を知るっていうことも認められるようになったかなと思う。前までは、頭の奥ではできないってわかってたのに、どうしてか意固地になって出来ると思い込んで、自分一人でやって結局出来なくていらついていた時期がありました。自分一人の力ではちっぽけでできない、だからそのタスクをできる他の人に頼むってこともこれからは出来るようにならないといけないと思いました。もちろん、頼んでばっかりじゃだめだから自分にできることがあれば進んで話を聞いたりできることをやっていきたいなと思います。

②矛盾を恐れないこと。

今まで、意見をいう時にまず自分の中でこういう考えがあるなーって感じてそれを崩さないように、意見が筋が通るように自分の意見を正当化してきたと感じてて、自分の意見がずれるのが怖くて、あまり人前で意見を言うのをためらってきたように思いました。それに、相手と意見が違うと自分の意見がダメだったんじゃないかって思って、そう思っていなくっても急にそうだ、って自分の意見を変えることもありました。自分を出すことをためらってたように思います。

何か最近そういうのこの先生きていく上でつまらないなって思うようになりました。意見って人の意見を聞いたりして変わってもいいんじゃないかなって思うようになりました。自分と矛盾してても心の中でそれが理解できて納得できるなら今まで考えてた自分の意見を変えても何ら恥でも何でもないような気がしたんです。意見を変えるのって勇気がいります。

「前までは●●って言ってたのに、なんでいつの間にか◎◎の意見になってるわけ?」

前まではこういう質問をされるのが怖かった。否定されてる気がしたし、他人の意見に付いていってる気がして自分がないような気がして怖かった。

そういうのを克服するためにも、もっと自分の中の自分と話しあわないといけないなって思いました。そして、もっと自分の意見を話すこと。アウトプットすること。自分はどう思うか、それでいいと思うのか。自分に正直になろうと思いました。

③自分の価値観を他人に押しつけない。

「自分はこういう価値観を持っているからあなたもそうして欲しい。」

そういう自己欲がどれだけ自分勝手かっていうのを大学に入ってからよく感じるようになりました。高校まではほとんど意識してなかった感覚です。大学に入ってから高校まで知りあってきた人たちの10倍くらいの人を知り、関わるようになってきていろんな人がいることを実感しました。ビンテージが好きな人、邦楽がだいすきでだいすきでたまらない人、絵を見るのがすきなひと、機械をいじるのが好きな人、まだまだたくさん出会いました。その人にはその人なりの価値観があって他の人にはわからないこともたくさんある。

自分のこれを直して欲しい。っていうのの押しつけがいかに人のことを考えてないかをよく考えるようになりました。(常識的に考えてこれは直さないとその後が大変になるよっていうのなら話は別だけどその話とは関係ないから省略します。)自分を変えるのではなく、自分を取り巻く誰かを変えようとすることの傲慢さを感じるようになりました。

そういうことを気にするようになって、「相手を変えようと思うのではなくて、自分が変わればいい。」と思うようになりました。違いを受け入れられるような自分の容量というかキャパシティを増やすことが大切なんだと思いました。結構、自分は心が狭い方だと認識しているから直さなきゃなって思ってます。

「◯◯だから、すきじゃない。」って言ってバリアを張るんじゃなくて「◯◯がすきなんだ。どういうところがすきなの?」とか違いを受け入れて自分から歩み寄る。相手から近づいてきてくれるなんておこがましいなって思います。

”人なんて一人ひとりちがってアタリマエ。たまたま価値観が合ったらそれはとてもうれしいこと。”

自分の価値観をすきになってくれるっていう前提があるから人間関係がおかしくなる。そもそも価値観が同じっていう前提がおかしいわけで。もともと人の価値観は違うものなんだ、ちがって当たり前なんだって感じるようになるととても、ラクになるかなって思います。まだまだこれからなのでうまくそういう考えで人との付き合いができるようにしたいです。

④出会いに感謝すること。

今まで、家族、近所の人、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人と大学に入ってこれを書くまでに様々な人にあってきました。望むと望まないとに限らず。ぼくはそれにとても感謝しています。そういう人達に囲まれてのらりくらり生きてこれたから今の自分があるし、こういうことを感じれるようになったんかなーって思います。はたちになって、感謝することがどれだけ大切かっていうのも実感しています。いろいろありがとうございます。毎日楽しく暮らしてます。大学入学時に大阪の関西大学に来て本当に良かったなと思います。こっちに来なければできなかったであろう体験、感覚、出会い。たくさんありました。親には結構迷惑かけてます。申し訳ないなとは思うけど、自分の中では、この選択に間違いはなかったなーって確信してます。東京には自分の興味のあるイベントが多くあっていいなって羨むこともありますけど、それはないものねだりです。そう思ったって変わらない。

「偶然」に感謝することも大学に入ってからの感覚です。大学を関西に選んだのも、MusterPeaceというサークルに入ったのも、GVに行ったのも、ミラツクの合宿に行ったのも、greenzというサイトに出会ったのも全部たまたま。本当に。もしかしたら必然なのかもしれないけど、ぼくは「偶然」でいいと思います。人生ってときどき思ってたことと違うことが起きるから楽しいんです。案外それが楽しかったりすることもあります。それでつらいことだってたくさんあります。別れも経験します。でも、そんなもんじゃないかなってゆるく考えています。なんだかんだ結果的には楽しかったって言えるような人生だったらオーライかなと思ってます。

また、ぼくの中で「最高」を追い求めるか「最善」を尽くすか、の2つの選択肢があるように思います。似てはいるけど、ぼくは現段階では確実に「最善」派です。最高を追い求めてもいつ最高が現れるかわからない。死ぬ間際かもしれないし、10年後、20年後かもしれない。一生現れないかもしれない。そんなものにたった一回の人生をかけるのは正直もったいないと思うんです。それなら、今あるものを「最善」に近づけられるように大切にすることが必要なんじゃないかなって思います。

”運命の人”なんてよく聞く言葉、それは全然持っていてもいいと思います。それはその人の思いがあってぼくが変えようと思っても無駄だから。でも、そういう人に限って理想が高かったり、こうしてほしい、ああしてほしいと理想の相手に「最高」を求めるように感じます。最高というイメージを持っているから、ある程度知り合って長い間が経つとだんだんその人の内面も見えるようになってここは違うなっていう許せない部分が見えてきます。もともとプラスだったものからどんどん評価が低くなっていく感じです。その人はこうあるべきだっていうある種 ”期待”をかけているってことです。自分はこういう人なのに、相手は「こういう人だ」っていう先入観(期待)をもって接していって自分を出していくと、その期待に沿っていないと思って勝手に評価を下げていく。これって、ひどいことだと思うんです。もとは期待なんてすべきじゃないと思います。「0からプラスへ。」先入観を持たないで相手と接するって本当に難しくて、今でも上手にできない自分が言うのも何だけど、期待をしないで相手に接したほうがどんどん相手の本質をしっかり見れるようなきがするんです。

最高を求めるよりも今、身の回りにいる人達を大切にして「最善」になるように努力したほうがいいのにって思います。実際大学に入って行動範囲が広がり、付き合う人の輪が拡大したけどやっぱり限界があって。だから、人脈を作ることに焦点を置くのはやめようかなと思います。自分を必要としてくれる人、長く居たいなっていう居場所をつくっていきたいなって感じます。

⑤対話の重要さ。

3月の中旬にミラツクの合宿に参加してきました。ゆったりと過ぎる時間の中で自分と自分の中にいる自分と向き合えたかなって思いました。参加者は学生が少数で、働いてる人や主婦、最近仕事をやめた人など多くの違った分野からの人たちでとっても面白かったし、と同時に同じ分野に興味を持ってる人がいて話し合えたことも良かったです。

そういえば今まで「対話」っていうのを意識したことがなかったなって思いました。マスピでも勉強会で話しあったりしたのもあれよく考えたら対話だったのかもしれないけど気づいてなかったです。なんでか。多分、自分の出来る範囲と距離があったから。どうしても離れてて現実感がなかったことかなと。それにグループの人数が多くて自分の意見がなかなか言えなかったこともあるのかななんて思います。今回のダイアログでは、自分が意見を言ってる時はみんな真剣に耳を傾けてくれてとてもいいやすかったのを覚えています。それに清里の「場」っていうのも大きかったかななんて思います。

今回は「ミライ」について自分ができることについて、自分が描くミライについてひとりひとり話せたように思います。少数グループだったのもあるし、なにより3日間対話をしたっていうのが初めてでとてもそれが新鮮でした。誰かが「心地良い疲労感」って言ってたのがとてもしっくりきました。

対話って会話と違って自分の表面じゃなくて内面を見せないと続かないって言うのがあってそういう意味では結構しんどかったです。会話って表面上の話っていうイメージがあって、もちろん、誰とだってできます。「今日これこれ面白いことがあるらしいよ!」だらだら話すのが会話だと思います。特に用事もなかったりするときとかに。でも、対話って内面的なものまでゆっくり深いところまで話すものだと思います。だから、自分の内面、心の中で思ってることを吐き出さないとそういう関係にはなれないです。この人にならこれを言っても聞いてくれる、そんな良い信頼関係を築くことが必要だなと思いました。なかなか、そういうのって難しくて今までもそこまで信頼しあえる関係っていうのができてなかったように思います。自分がそこまで自分のことをしっかり考えてなかったっていうのもあるけど。これから対話のし合える人を増やせていけるように自分のことも話してかなきゃいけないし、アウトプットもどんどんしないといけないなーって思いました。



今、思うことをつらつらと書いてみました。今回も自分の意見を正当化して書いてるようにも感じます。多分、前後が繋がらなかったり、矛盾してたりするかもしれません。来年にはまた考えが変わってるかもしれません。でも、まあいいかなと思います。わからない人にはわからないし、わかってくれる人もいると思うし。そんなもんだと思います。良い意味で期待はしてないです。でも、わかってくれるようには努力はしていきたいです。よろしくおねがいします。



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