「Tokyo Life」というブログをたまたま訪れた時に見た記事にて。

“どちらも現実なのです。 忘れ去られた子どもたちが、AIDSの親の面倒を見なきゃいけなかったり、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけなかったりする現実もある。他方で、朝からお母さんに起こされて朝食を食べたら車で広い芝生の校庭がある学校に送ってもらって、学校帰りにはファーストフードでピザを買って帰る、そんな生活も一 般的。”
現実はひとつじゃない。

ジンバブエにも日本にも格差はある。でも格差の度合いが違うんだよ、っていう話。

これをみて考えることがある。この記事にも載っていたが、「現実」っていくらでもあるんだなと。こうしてブログを書いている自分が過ごしている現実、アメリカで留学しているゼミの友達、アフリカで食べ物を求めて何日も長い列を待っている子どもたち。ひとえに「現実」といっても人の数だけ現実があることを改めて実感したような気がする。

現実ってたくさんある。それは間違いない。じゃあ、国ごとの「現実」って?たとえば、日本では現在円高の影響で名だたる大企業も生産の落ち込みで先行きが危ぶまれている。お隣韓国では、英語教育に力を注ぎすぎて子供たちの遊ぶ時間がないそう。○○人っていう国ごとの単位でくくられてみられる現実もある。

こんな風にいろんな観点からみることで物事には多くの「現実」があることに気が付きます。たくさんあるのに、知らなかったり、自分の興味のない分野だったり。情報を誰でも得ることができる今、知っていることで現実の幅を広げることができます。現実を知ることで新たな視野を広げたり問題点も見えてくるものです。

大学に入って二年目の今年、本当にいろんな現実を見ました。二回目のGVということで、少しは周りを見渡せたかなと思う。アジアというくくりの中、日本は恵まれてるっていうことを肌で感じ、東南アジアがまだ貧困に苦しんでいる現状も知った。JCC合宿で、他のチャプターが行ってきたGVや他企画の現在継続しておこなっているフィリピンの子どもたちの支援のことなどを聞いた。自分の行っていないところの話が聞けて、その人はどう思ったのかどう動いたのか。もちろん、自分もカンボジアに行ったということで感じたことなどをパワポにまとめて、簡単にだけど報告させてもらった。日本に住んでただけでは気付けないリアルな言葉、経験をさせてもらった。そこで、自分と相手の意識のギャップを感じた現実もあったり。新たな知識を得て、前にはなかった視野を手に入れると同時に、見たくなかったり、目を背けてしまいたい現実にもぶち当たる。現実にはプラスもマイナスも両方の面を持っているんだと気づきました。

現実を扱うことについて思うことがあります。それは、ひとつひとつの「現実」を比較することです。例を出して言えば、ジンバブエがこんなにひどい生活を送ってるのに、こんなんで辛いとか苦しいとか言うな!とかいうことです。「辛い」に質の違いがあるのだろうか。もちろん、ジンバブエは毎日食べ物を求めて歩き回っている現実がある。日本はそれに比べて、歩き回らなくてもネットだとかちょっとそこら辺にあるコンビニで食べ物を買うことができる現実がある。それは変わらない。こう見たら、日本はどう考えても日本の方が暮らしやすいじゃないかと思う。でも、国ごとの現実が違うんだから比較してはいけないと思います。その国の人にとってはそれが普通なんだし、日本ではこれが普通。この国の「当たり前」がその国では「当たり前」じゃないんです。

いくら夢見たってそれは夢でしかない。今いる自分のスタート地点の現実を見据えてどう進むか、どうあがくか。○○だったらいいなーのないものねだりはそろそろやめるようにします。今年ももう終わるので、新年に向けてがんばっていきたいと思います。

来年は現実から目を背けない年にしたいです。



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